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自分を忘れる

半径3メートルのこと

タイトルは決して僕が痴呆になったわけではありません。(物忘れはたくさんする阿呆ではあります)

今日はお酒と趣味の話。

人は普段抑圧された自分を解放するように、お酒を飲みます。

普段の世間用に築きあげられた自分。

お酒の力を借りて、人間関係の悩みや仕事のストレスを忘れて、ありのままの自分に戻って楽しみます。

趣味も同じ様な役割を果たしている。

山登りであれば、社会での自分の肩書や立場など何もかも忘れて、ただ自然を愛でて体を動かすことを楽しむことができる。そして山頂に立ったとき何者でもない自分になれる。

陶芸やパッチワークなどのものづくりでは、作業に夢中になれば三昧の境地で何もかも忘れる。そこに世間用の自分は当然いない。

人が酒や趣味を求めるのは世間用の自分を忘れて素の自分に戻れるから、そしてその状態が自然な状態だからこそじゃないかと思う。

でも十年くらい前にお酒をきっぱりやめました。

それまでは毎日、仕事が終わってから晩酌にビールかワインを飲むのが日課になっていました。

量は大して多くなかったですが、仕事を忘れて発散するのに缶ビールを2本くらいは毎日飲んでたかな。

休みの前の日には酔っ払うまで、心置きなく飲んでました。

ある時、ふとお酒を飲むのが目的の生活になっているの気づきました。つまり、仕事がしんどい時や仕事の合間、ちょっとした時に意識の向かう先が仕事終わりの晩酌に向いているのに気づいたのです。

そして、仕事が終わって最初の一杯を飲む。「ぷはぁ~」

ほろ酔いになって懸案事項も嫌なことも薄れていき、普段の自分がいなくなっていく。

ストレスのない自由な気分が戻ってくる、素の自分に戻ったそんな感じだったのかもしれません。

まあ、お酒飲む人からしたら当たり前のことかもしれないですが。

でもその頃すでに、本当の自分というものを理解し始めていたので、すごく違和感を感じたのです。

「酒の力を借りなくても、本当の自分であればいいじゃん。」

「いや、むしろ普段、今ここの状態に居れるほうがよっぽどクリアじゃん。酒飲んでも本当の自分になれてない。」

「晩酌を楽しみに過ごしていたら、今の大事な何かを取り逃がす」

そう思ってその日からきっぱりお酒をやめました。

しばらくは名残惜しくてノンアルコールビールを飲んでいましたが、それ以来一切アルコールは口にしていません。

それからは、できるだけいつもクリアに居ようと心がけました。

そして今思うこと、「飲まないようにしようというこだわりも、なんか違うね!」^^

別に飲んでても良かったかな、と思います。

飲まないことが当たり前になったので、飲もうとは思わないですが。

機会があれば飲まない理由がないので普通に飲むでしょう。

サブタイトル通り融通無碍に漂いまする。

 

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