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ネットに見るこの世のフラクタル

午後の修行

よく世界はフラクタルにできていると言われますよね。

例えにたびたび出されるのが、海岸線の複雑な形。

上空1万メートルから見ても、10メートルから見ても、その複雑さは見た目にあまり変わらない。

もっとスケールの大きな物なら、巨大な宇宙と微小な原子の世界でもフラクタル性を見ることができる。

あとちょっと毛色が変わるけど、人間の体を小宇宙なんていうのも一種のフラクタルだろう。

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システムとしてのフラクタル

この百年で、もっとも偉大な科学的な発明はインターネットだと僕は思うんだけど、みなさんはどうでしょう。

ネットの発達によって、それまで一般の人たちが触れられなかった情報に容易にたどり着くことができるようになった。

一部の人間が独占していた情報を、その気になれば誰もが手に入れることができる。

スピリチュアルなんかもその恩恵を受けているよね。

ネットがなければ、瞑想やら、アセンションやら、悟りやらは、身近になるたぐいのものじゃなかったはずだ。

そんなのは世間を捨てた人か、よっぽどの変人しかたどり着けなかった知識だ。

逆に一個人の考えや情報を世界に向けて発信できるのも、ネットがなければありえなかった。

今は当たり前のように使っているけど、改めて考えたらネットがあるということはすごいことでしょ?

それでね、ネットというものの全体像を考えた時、あるものと相似だなと思ったんだ。

他にも同じような考えを持っている人をネットで見かけるけど、僕は自然とそう思った。

ネットではそれぞれがPCやスマートフォンやタブレットなどいろいろなデバイスを使ってネットにつなぐでしょ?

各々がいろいろなアプリを入れたりデスクトップを飾ったりオリジナルのデバイスに仕上げている。個性たっぷりに。

そのデバイスがつなぐのはネットの海とも称されるつかみどころのない広大な情報。

つながっている端末であるデバイスには限られた情報しか入れることができないが、その気になればネットにある無限とも言える情報にアクセスできる。

ネットという言葉が指すのは、つながっているデバイスを含んだ分けるのことのできない全体をひとまとめに言うでしょ。

この構造、システム何かに似てないですか?

ネットが全体、神、宇宙。

デバイスが個人

まるでワンネス。似てるでしょ。

インドのヴェーダで言えばブラフマンとアートマンの関係と言っても同じだ。

神は自分に似せて人を作ったというけど、ブラフマン(宇宙の根源原理)と同一であるアートマン、あるいは真我、本当の自分、魂、それ、いろんな呼び方があるけど、僕たち人間は、自分たちと宇宙の真理の関係に似せてネットというシステムを作ったんだ。

言わば神のシステムのフラクタルだ。

まあこれは僕の思考の産物だけど、本来決して直接表現することのできない真理を、指し示すためのモデルとしては悪くはないと思う。

ロールプレイングゲームもフラクタル

他にロールプレイングゲームなんかも、ブラフマンとアートマンの構図を簡易化した、システムのフラクタルになっている。

プレイヤーは神の視点でゲーム内の主人公が僕らの視点だ。

神は自分が神だということを忘れて、ゲームの主人公になりきってしまう。

登場人物が死ねば悲しかったり、悔しかったりするけれど、どこかでゲームだということはわかっている。

色即是空、空即是色だ。すべては幻だ。

その構図とフラクタルに一致する。

人の作るもの、考えるもの、信じるものなど何故かシステムのフラクタルになっている。

他に幽霊の存在、霊界の有無、レイキ、宗教的な見えない力なんかもネットやデバイスにその相似性を見つけることができる。

長くなるので、その話はまた今度。

 

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