日常に潜む悟りの時間

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この前の記事で最近、非二元がビッグワードになったと言ってたけど、ちょっと違ったみたいでした。キーワードプランナーで調べてみたらこんなんだもん。

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トレンドも見てみたら、さらにしょぼい。

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2015年から増えたのは、たぶん阿部さんと大和田さんの影響だね。

普通にgoogleで検索したら100万件超えていたから、えらい人気だと思ったけど”非二元”という言葉は”非””二””元”それぞれ別々に検索に引っかかっているのが多いんだろうね。

まあ冷静に考えれば、こんな概念が世間に受け入れられなんてありえないからね。

今日はそんな非二元はわかりにくいし、わかっていたらこんなブログ見ていないだろうから、もうちょっと簡単な”プレゼンス””今””と言われるものについて書いてみる。

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今ある悟りの瞬間

非二元というと、エゴは二元のこの世界と非二元いう世界を分けてしか捉えることができないが、実際はエゴも苦も悪も善も非二元じゃないものはない。

だから、非二元をいくら語ってもエゴはどんな結論にも達することができないんだ。非二元を知ることはできない。いわゆる解脱というのはエゴがすっかり落ちてしまった状態だから。

いわゆる悟り(一瞥であって本当の悟りではない)というのも、いろいろな段階があるから必ずしもエゴが落ちたわけではない。まれにいきなり最後まで行ってしまう人もいるけれど、(たとえばラマナ・マハルシ)ほとんどの人は一瞥どまりだ。だから悟後の修行で完全な解脱状態を目指すんだ。

世間で悟ったと言って、セミナーをしたり、セッションやセラピーをしたりしている人は多いけど、最後まで行ってエゴが落ちてしまった人は皆無だよ。合ったことはないけど一人だけ最後まで行ってるのかなと思う人がいる。ブログしか知らないが借りてきた言葉ではなく、独特の表現で的確に非二元を表していて、いつも感心する。

でも阿部さんの言う”いまここ”や”プレゼンス”や僕の”一歩引いた視点”というのは、定着させるのは大変だが、瞬間的ならだれだっていつも経験している。

そこは非二元ではないが(厳密にはすべて非二元)、本当の自分ではないエゴを客観的に見る事ができる場所だ。僕は今もエゴに巻き込まれたり、影響されたりすることは免れないが、確実にそれは減少していっている。

よく言われることだけど、常にその状態にいるのは赤ちゃんだ。

でも僕たちが赤ちゃんになることはできない。それでも毎日のように誰だって、その位置に帰っているんだ。

それは熟睡した後の寝起きの瞬間。

起きてすぐ自分が誰で、何をしていて、今何曜日なのか、今から何をするのかわからない時があるでしょ?

その短時間はエゴがまだ活動しきっていない。

その時間、普段の悩みとか懸案事項とかどこにもないでしょ。

あと、日中でも瞬間的なら”いまここ”に戻るときがある。

自分はいつも頭の中でおしゃべりが止まらないのに、いまここなんて全然ないって言う人もいるかもしれない。

だけど、どんなに考え事に夢中になっていても、一瞬止まる時があるでしょ。

ふと我に返る、というその”ふと”だよ。それが”いまここ”の瞬間だ。

でも、普通は何も気づかずにまた考え事に帰って行っちゃうんだ。

このことを覚えておいて、今度、ふと我に返った時にその”いまここ”の感覚を掴んでみてください。

そこに気づくことができたら、それは瞬間が少しずつ伸びていって、いずれ定着するだろうから。

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