久しぶりにアジズの本をチラッと見てたら、以前わからなかったことがすんなり腑に落ちる感覚に驚いた。
最近は、覚者の本を読むことも、ネットで評判の悟ったと言う人のブログを漁ることをやめて、ただ生活の中で”あり続けた”だけだった。
何の教えも、伝授も受けなくとも進化はしていくんだなぁ。
今日は意識の話をしてみたい。
意識を捉える
意識というと、一般には”意識がある”、”意識を失った”、”あの人のことを意識する”、などの言い方で使われますが、具体的に”意識”とはどういうものか見つけることができますか?
一度、静かに自分の意識に注目してみてください。
意識は意識だろう?、なんてただ”意識”という言葉のラベルで思考停止しないで考えてみて。
瞑想している時に浮かんでくるとりとめのない思考は、どこに浮かんでる?
その思考が浮かんできていると認識しているのはどこ?
目に見える景色を認識している(見ている)のはどこ?
遠くから聞こえてくる車のクラクションを認識している(聞いている)のはどこ?
美味しいご飯を食べた時に味を認識している(感じている)のはどこ?
思い出し笑いをしている時にその場面を認識している(再生している)のはどこ?
印象が強くて頭から離れない歌のフレーズがリフレインしているのはどこ?
腰が痛い時に痛みを感じているのはどこ?(腰じゃないよ)
寝ている時に夢を見ているのはどこ?
どうですか?
目で見ている景色は決して目で見てるわけじゃないし、クラクションの音を聞いているのは耳じゃない。
それらは単にカメラとマイクのような端末だ。
これらすべてを認識しているのが意識だ。それも共通の意識。
視覚用、聴覚用、痛み用、夢用なんて、用途別に意識が分かれているわけじゃない。
物を見ている意識で、考え事もするし、音も聞く。
だから何かで意識を使用中の時は別のことが疎かになる。
言われてみれば当たり前のことだけど、人はこのことをまず考えたことがない。
このことを踏まえた上で、もう一度意識はどこからどこまであって、今何を捉えているかを探ってみて。
たぶん、音を聞いていると思ったら、思考に移り、すぐに景色に移って、また思考に移る。
こんな感じで、あちこちに移動し続けているだろう。
…………
あれ? 今、客観的に思考を見ていなかった? もし見ていたとしたら、その瞬間、”プレゼンス”、”今ある”、”いまここ”などと言われているところにいたんだよ。それが悟りのシッポだ。いつも掴んでいられるようにするといい。
話はそれたけれど、意識についてなんとなくわかった?
ではその意識はどこからどこまであるの?
体の中に無限に広がってる?
そう思ったらスピリチュアルの知識で頭でっかちになってるよ。
そんな知識は捨てて、意識の端から端まで見つけてみて。
あなたの見ている景色は意識の外なの?
あなたが今考えている思考は体の中なの?
あなたの目の前にある首から下の体は意識の外にあるの?
あなたの目の前の手をつねったら体の中が痛いの?
上で書いたようにこれらを認識している意識は同じもの。
つまりはあなたの体の中も外も思考もすべて意識の中にある。
いわゆる意識のスクリーンにすべて映しだされている。
中も外もどこにも境界はないんだ。
じゃあ体の外はどこまでが意識の中?
1mまで? 3m? 100m? 1km?
もう解った?
そう、宇宙の果てまであなたの認識できるすべてがあなたの意識の中にある。
その宇宙はあなたの唯一の宇宙だ。
覚者が”自分は宇宙の主だ”という意味はそこにある。
あなたはその宇宙の唯一の主なんだ。
そばにいる家族も友達も誰もが別の宇宙にいる。
見ている宇宙は似通っているけど、少し~大きく違っている。
SFや、宇宙物理学で並行宇宙が出てくるけれど、何の事はない目の前に並行宇宙が無数に存在しているんだ。
その中心にいる主のその奥にいるのは全く同じ。
その感覚は誰もが知っていて、いつも”ここ”にある。
誰も気にしていないだけ。見ようとしないだけ。
最後まで読んでくれてありがとう。
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