子どもと大人の時間の流れ

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僕と同世代のみなさん、年々時間が早く流れているのを感じませんか?

子どもの時と比べて、時間が過ぎるのが早いというのはよく言われますよね。

これはスピリチャル的に考えるとどうなんでしょう。

真理から言えば今しかありませんから、時間は流れていません。

過去・現在・未来があって時間が流れているように見えるのは、エゴのなせる技ですから。

それは、本来この世のものに価値なんてないのに、いいものと悪いもの、美しいものと醜いもの、などとエゴが価値をつけているのと同じことです。

人は何か心が動く様な出来事があった時に、その時点にアンカーを打ち付けて紐で繋いでおくんです。

それを今に持ち歩いて、何かの時にその紐を引っ張れば瞬時に過去に戻ることができる。

それが記憶や思い出というものです。

そのアンカーが時間の流れの目安になっている。

元々無いものを感じることはできないけど、そういう目印があれば感じることができる。

例えて言えば、アンカー1個あたり1時間経過みたいに。

子どもの場合は見るもの聞くもの初めてのことが多いから、大人が当り前になっていることでも心を動かされる。

その見たり聞いたりした経験はたくさんのアンカーを打つ事になる。

すごい密度のアンカーが打たれるから、思い出を振り返った時に膨大な時間の流れを感じる。

ただ、経験している時は夢中で三昧の境地だから、あっという間に時間は過ぎるという矛盾を併せ持つ。

例えば夏休みはあっという間に過ぎていくけれど、すごく長い時間を過ごしたとも感じたでしょ。

これは思い出の視点から見るか、経験の視点から見るかの違いだ。

一方、大人の場合、日頃の生活はとてもルーチンになっていて、心を動かされることは非常に少ない。

だから打たれるアンカーはとても少なくなる。後で振り返ってもまばらなアンカーでは長い時間を感じることができない。

これは経験の質ではなく、感受性の問題だ。

ただ家路を帰るのでも、子どもは道草をして道端の植物や昆虫など色んな物に興味を引かれて、たくさんのアンカーを打つけど、大人は帰り道になんの魅力も感じず、アンカーなんて打たない。

一年経った時の子どもと大人のアンカー数は大きく違う。それがそのまま時間の流れの速さの違いとして感じられるんだ。

大人はよっぽど気に入った趣味や旅行でもしなければアンカーを打つことはできないんじゃないかな。

でも、もう一つアンカーを打つ方法がある。

それは年をとっても、知らないことをどんどん勉強して、新しい物に触れることだ。

僕のように英語を勉強するのもいいですよ。知らないことがどんどん出てくるから。

その新鮮な経験がアンカーを増やすことになるから。

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