僕はスピリチュアルに興味がありながら、「生かされていることに感謝をしよう」「すべてのことに感謝」というのが苦手です。
嫌いとは言いませんがなんか居心地が悪い。
そもそも”宇宙”や”神”や”真理”、なんでもいいけど、感謝したり信頼したりする時点で、そこには分離があるように感じてしまいます。
誤解を恐れずに言わせてもらえば、「感謝をします」「信頼します」と宣言することは、「私が雨を降らせます」「私が風を吹かせます」と言っているのと同じに感じるんです。
”感謝”も””信頼”も自然に起こること。人も生かされているのではなく、ただ生きている。
同じように居心地が悪いのが「愛しましょう」という言葉。
愛もやっぱり自然にあるもの。
エゴが愛そうと思って愛しているつもりでも、それはなにか別のものです。
子供のことを愛そうと思って愛さないでしょ。
無条件に愛がある。
もし、毒親だとしてもエゴが愛という流れをせき止めているだけで、愛は伏流水のようになって流れている。
エゴの崩壊とともに流れを取り戻すでしょう。
だから僕は「愛しましょう」だの「感謝しましょう」だの「生かされている」などというのが気持ち悪いんです。
…ええ、正直言って嫌いかもしれません。
でも、僕のエゴが嫌いと言っても、本当に嫌うことはできません。
それは大海を一片の氷で冷やすようなもの、いずれは溶けてなくなるでしょう。
僕のエゴもいずれは溶けてなくなるでしょう。
誰もがみんな溶けてなくなるでしょう。
まさに”人類補完計画”です。
(エヴァはまさに降りてきたストーリー。庵野監督は無意識に真理を語っていますよ。
TV版の最終回は批判されていたけど、あれで正解。最後にただ愛が、ただ感謝があるだけだから)
融通無碍に生きましょう。おためごかしでいいじゃない。
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