Netflixドキュメンタリー「ワイルド・ワイルド・カントリー」の視聴感想。やっぱりOSHOって胡散臭い

OSHO ラジニーシ 午後の修行

相変わらず海外ドラマが大好きでHulu、Netflix、Amazonプライムを見たおしています。

中でもVOD(ビデオオンデマンド)No.1のNetflixは量も質も充実していて観だすといくら時間があっても足りないくらい。

最近はNetflixのドキュメンタリーにハマっています。

そこでたまたま見つけた「ワイルド・ワイルド・カントリー」。

けっこう衝撃的な内容だったのでご紹介したいと思います。

OSHOことラジニーシの教団の実情を描いた作品

「どれどれどんなドキュメンタリーかな?」

と概要を見てみるとラジニーシの名前が。

のちにOSHOと名乗るようになる、悟りや瞑想、スピリチュアルに興味のある人なら誰でも知っているマスターの一人。

僕自身はその後の世代なので、OSHOに傾倒することはなかったのですが、スピリチュアル界隈にいる人の中には今でも信奉者は多いんじゃないでしょうか?

たしか阿部さんもラジニーシから入ってサニヤス名持っていたんじゃなかったっけ?

うろ覚えなので間違えていたらすみません。

僕もOSHOに興味は持ったんですが、ロールスロイスを何台も持っていたとか、エッチをすることで目覚めるワークのような話を聞いて、胡散臭いと思って手を出さなかったんですね。

実際、教団をやめた信者が教団の暗部を描いた暴露本もあったようですが、あまり真に受ける人はいなかったようです。

でも、エピソードの内容を見ていくとかなりヤバイ教団だったことがうかがえて、思わず全6話を観てしまいました。

覚者ではなく教祖だったOSHO

先に述べたように、僕はラジニーシの本は一切読んでいないので、OSHOが説いていることもラジニーシ教団のこともまったく知りませんでした。

サニヤシンというのもマスターであるOSHOから名前もらっただけのことだと思っていました。

あれ弟子ということらしいですね。

OSHOを教祖とする宗教でその信者という関係性。

新興宗教であったことは初めて知りました。

ラマナやニサルガダッタ・マハラジ、パパジ、ムージーなどの覚者がサットサンで求道者を導いているのとは別物だったようです。

インドを追われてアメリカにやってきた時も宗教団体として登録しています。

まさにオウム真理教の原点だったラジニーシ教団

アメリカのオレゴン州のアンテロープという人口50人ほどの小さな村にやってきた教団は、豊富な資金力に物を言わせて広大な牧場を購入しそこにアシュラムを作ります。

しかし、インドの賢者がサットサンを開くようなただのアシュラムではなかったのです。

いきなり何千人もの赤い服(サニヤシンは全員赤い服をまとう)を着た宗教団体がやってきて、何千人も居住可能な住居や大きな施設をどんどん建てて街を作り出しました。

当然、もともと住んでいた住民は反感を持つことに。

地元民との軋轢が起こると、教団はアンテロープを市として申請し、病院や学校まで設立し、最終的にラジニーシ市となります。

さらに選挙を経て信者を市長に当選させます。

(アメリカでは住民が一定数いれば割と簡単に市として認められるようです)

地元民との衝突につれて教団は武装化し、やがてサルモネラ菌によるテロや殺人未遂まで手を染めるのです。

このアシュラムを組織化し、1つの自治体として占拠してしまったり、テロ・武装化・殺人未遂という脱法行為の数々。

この構図なにかに似ていませんか?

そう上九一色村で自分たちの国を作ろうとしたオウム真理教とそっくりです。

実はオウム真理教がラジニーシ教団を参考にしていたという話があります。

麻原がわざわざラジニーシ教団を見に行ったという話もありますが本当かどうかはわかりません。

でもこのドキュメンタリーを見れば誰でもオウムのことが頭をよぎるでしょう。

暴走する幹部を戒めるどころかその行動に乗っかるOSHO

オウムと違いラジニーシ教団が暴走したのは側近だったシーラという女性によるところが大きいです。

けっしてOSHOが麻原のような立ち位置だったわけではありません。

しかし、教団と地元との対立や武装化、バイオテロの準備などまったく知らなかったとは考えにくいんですよね。

百歩譲って武装化やバイオテロなどシーラが独断でしたにしても、その事実はマスコミに何度も取り上げられて問題になっていることは耳に入っていたはず。

それにもかかわらず、OSHOは長いあいだ公式の場で沈黙を通し、シーラが教団を飛び出して逃げてから初めてシーラのことを批判するというせこい対応をしたのです。

それまでは教団を大きくして潤沢な資金を集めたシーラの功績に乗っかって、小さな国家ともいえる教団のトップとして悦に入っていたわけです。

趣味のロールスロイスは十数台かと思っていましたが、実際は数十台持っていたとか。

シーラが失脚する前にシーラに代わる大富豪の女性を側近に迎え入れていたりと何とも生臭い。

お金を稼ぐのは何も悪くはありませんが、悟りをエサにそこまでする?と僕は思っちゃいますね。

OSHOがアメリカを追われたのはキリスト教を批判したからではなく、テロさえ実行する武装集団だったから

前述したように、だいぶ前に元信者が書いた暴露本がありましたが、それを読んでも信者たちはOSHOがアメリカを追われたのはキリスト教を批判したからで、書かれていることはOSHOを貶めるための捏造だと信じていたようです。

でも、教団が行った不法行為の数々はこのドキュメンタリーの中で真実であったことがはっきりしています。

なにせ信者だった実行犯や張本人であるシーラ自身がインタビューに答えているのですから。

それでも今なお、OSHOを信奉している人はサニヤシンを続けるのでしょうか?

教団は問題があったかもしれないが、OSHOの説いていることは素晴らしいと信奉し続けるのでしょうか?

もしそうなら、それは麻原の説いたことが素晴らしいと今なお信仰を捨てないアレフの信者と何も変わらないように思います。

感想としては「やっぱり」という気持ち

昔、OSHOに惹かれなかったのは良かったと思いました。

何もわからない頃に初めて知ったのがOSHOなら、そのままのめり込んだかもしれません。

今、それなりにわかった状態で比べたら、ラマナやニサルガダッタ・マハラジ、パパジ、ムージーとOSHOはまったく別物。

真理だけを見ている人と、真理を指す道標(みちしるべ)に見入ってしまっている人の違いがあるんじゃないでしょうか?

平たく言えば目的と手段を取り違えている。

最初に感じた「なんだか胡散臭い」という感覚はやっぱり間違ってなかったようです。

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