今日は子供たちがずっと家に居て、家族全員がコタツに足を突っ込んでいて人口密度が異常に高い。
足を入れずにコタツの端っこで布団だけ被って、寒さにふるえているオヤジです。
タイトルは今から二十年くらい前にベストセラーになった一部では超有名な本。
いわゆる精神世界系に分類される本なので、そういう方面にまったく興味がない人には知らない方も多いかもしれないけど、このジャンルに大きな影響を与えた本なんです。
それまで精神世界という分野の存在すら知らなかった人達に、自分とは何か?という問いを突きつけ、このジャンルに多くの人を誘うきっかけとなった超ベストセラー。
この僕もその一人です。
小さい頃から「自分」というのは何なんだろう?人は何のために生きていくんだろう?ということをたびたび考え込むような変わった子供でした。
周りの大人達や友だちはそんな事を考えているふうでもないので、誰に話すこともなく自問自答する日々。
大人になり『神との対話』に出会って、僕の知らない精神世界というのがあり、自分と同じようなことを考えている人が沢山いることを知りました。
まあ僕は精神世界にどっぷりとは浸らずに距離をおいたまま、そのエッセンスだけ取り入れて独自に探究を続けていく中で、坐禅→瞑想へと進んでいきました。

今日は僕のターニングポイントとなった『神との対話』とのちょっと不思議な出会いについてのお話です。
人の幸せは他人からはわからない
その頃の僕は子供が生まれて可愛い盛り、仕事は軌道に乗って忙しいくらいでした。
きっと他人から見れば幸せな人に見えたでしょうね。
だけど人の幸せ度なんて外から推し量ることはできません。
僕の場合も外見とは裏腹に幸せとはいい難いものでした。
一時、お互いに気持ちが離れかけていた夫婦でしたが、子供が生まれたことをきっかけに関係は修復されていました。
でも奥さんが子育てに専念し、仕事が忙しくなるに連れて夫婦の間はまたすれ違いだしたのです。
表面的には不仲になっているわけではないんですが、昔のように気持ちが寄り添うことが少なくなっていったのです。
象徴的なのは夜の生活がすっかりなくなっていた事。
いわゆるレスになってから丸二年が経っていました。
どっちが悪いというわけでもなく、ぶつけどころのない鬱憤が溜まっていきました。
それにつれて子供の頃の”何で人は生きているんだろう”という思いが再び頭をもたげだしたのです。
ある朝、仕事をしながら”何で僕は生きているんだ?僕は何者なんだ?”という思いが強く湧き上がり、そのうち
”もうこの世から消えたいな……最後にこの世の真理だけ知りたいな。それがわかれば、消えてもかまわない”
とまで考えてしまっていました。
話は変わりますが、その当時、雑誌(通販生活)で色々なものを買っていたんです。
編集部からすれば優良顧客だったらしく、ある日買った品物を使っている様子を取材させて欲しいと連絡がありました。
特に断る理由もないし有名な通販生活に載るんですから、ミーハーな気持ちで快く承諾しました。
その取材の日が、この世から消えたいなんていう厭世的な考えに囚われていた日だったのです。
仕事がしばらく時間が空くその日の昼からが取材の予定になっていました。
当初は立ち会うつもりだったのですが、すっかり煮詰まっていた僕は奥さんに任せて、あてもなく車で外出しました。
導かれるように
取りあえず家を出たものの、目的のない僕は国道をただ走っていました。
しばらく車を走らせて、ちょうど川を越えて橋を渡った時に、そういえばもう少し行けば本屋があることを思い出して、そこに寄ることにしたんです。
本屋に入って何を読むでもなく、ただ並んだ本の背表紙や平置きにされた本の表紙をつらつらと眺めながら店内をぶらついていました。
その時ふと気になる本のタイトルが目に留まったのです。
それが『神との対話』でした。
聞いたこともないタイトルの本でしたが、僕の問いに何らかのヒントをくれるのじゃないかと思い、ろくに中身も確認せずにレジに持っていきました。
『神との対話』を買って家に帰ってみると取材の人たちはすで帰っていて、初めての取材体験に少し興奮気味だった奥さんは、何の用事だったか覚えていないですが、僕と入れ替わりに子供を連れて出かけていきました。
家に一人になった僕は早速買ってきた本を出して、むさぼるように読み始めたのです。
内容は僕にとっては衝撃でした。
そこには僕の知りたかった問いのヒントどころか、答えそのままが書かれていたのです。
他の人が問いを持たずに読んだいたらそれほど響くものではないのかもしれません。
でも子供の頃から疑問を抱き続けてきた僕にとっては、ずっと知りたかったことがそこに全て書かれていたのですから奇跡のような本だったのです。
朝に答えを求めたら、その日の午後には答えを手にしていたというわけです。
僕は夢中になって読み進めていきました。
あるページまで来た時、そこに書いてあった言葉はまさに今読んでいる僕自身に向けられていた言葉だったのです。
そんなわけあるかと思うかもしれないですが僕はそうだと確信しています。
その言葉を読んで僕は生まれて初めて慟哭しました。
終わりの始まり
その言葉を読んで、何かが崩れました。
そしてそれまで溜め込んできた負の感情が堰を切ったようにあふれてきたのです。
それとともに、それまで生きてきた人生、楽しいことも、嫌なことも、悲しいこと、いろんなことのすべてが今日この瞬間に繋がっているのが一瞬で分かったのです。
その瞬間を迎えるために全てがあったことが何の疑問もなく腑に落ちました。
ひとしきり泣いてから、心が軽くなっているのに気づきました。
そしてもう人生に対する何の心配もなくなっていたのです。
しばらくはふわふわした地に足のついていない感覚でそれは三日くらい続いたと思います。
その日の晩は奥さんと自然な流れで二年ぶりにエッチをしました。
その後でその日僕が経験したことを正直に話しました。
変なやつと思われるんじゃないかという心配なんて微塵もありませんでした。
するとその話を聞いて奥さんも自然と涙を流し、同じ経験をしたようでした。
二人の体験は俗にいう至高体験というものなのでしょう。
でも特別な人間になったわけではないですし、それからはまた普通の生活が戻ってきました。
それまでと同じように食べ、同じように働き、同じように喜怒哀楽があります。
でもその時点を境に180度世界が変わってしまったようです。
それまでは自分というものを作り続けていたのに、その日からは自分という殻からの脱却が始まった感覚です。
それは今も続いています。
でもそれは決して嫌なことでも怖いことでもない日々です。
じゃあ、どんな日々かって言うと
コタツで震えながらも、幸せを感じられる。そんな日々です。
[追記]昔書いた文章であまりにひどいので、書き直しました。
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