坐禅と瞑想は境は曖昧で同じようなものだとオヤジは思っているんだけど、一つ大きく違うのが坐禅は半眼と言って少し眼を開けてやるのに対し、瞑想は完全に目を閉じてやる。
初心者の場合、目を閉じると思考に翻弄されやすく、眠気を起こしやすいので、坐禅から入るのがいいかも。
それでも坐禅の場合は結跏趺坐あるいは半結跏趺坐でちゃんと座ってやらないといけない。そこでちょっと簡単な(と言ってもちゃんとできるようになるのは難しい)禅のやり方を教えます。
昨日の記事で、自分が動かそうと意図する前から、脳は動かす準備を始めているという話を書きました。(脳の不思議 実験です。)
でも実際のところ、なにかをする時に身体を動かすことを意識してすることってあんまりないいよね。
ほとんどが自動的。
考えてみて。歯を磨く時に動かす腕や、歩く時の足の運び、食事する時の箸の動かし方など、いちいちこういうふうに動かそうなんて考えてないよね。
だから、そういう作業をしながら物思いにふけることができる。
飯を食いながら今日あった仕事のことを反省してみたり、腹の立ったことをもう一度思い返して怒りを再現してみたりするでしょ。
禅、瞑想をやっていく上で、妨げとなるのがそうやっていつの間にか湧いてくるとりとめのない思考なんだ。
放っておけば自然に消えていくんだけど、ついつい思い返してそれに夢中になっちゃう。飯の味もそっちのけで、今食事をしていることも忘れて箸が止まっていたりする。
こういう時にできるお手軽な禅がある。
動禅というらしいけど、坐禅のように座ってやるだけが禅じゃないんだ。
やり方は簡単なんだ。例えばごはんを食べるときなら、まずお茶碗を持とうと意識的に手を動かしながら持つ。箸も同様に動かすことを意識しながら動かす。茶碗の中のごはんを箸でつまんで口に持っていく。これに伴う動作すべてを意識的にするだ。
手だけじゃない。口に入れたごはんを噛むことも意識的にする。そしてその味も意識的に味わう。
漏らさずやろうと思うと、普通のスピードではできない。すぐに自動的にやってしまうから。かなりゆっくりやらないとできないと思う。
昨日の記事で書いた、意識的にやっても脳は先にやり始めているというのは、この際ちょっと置いといて^^
最初は難しくてもできるようになるから。
気づけばあんなに湧き出てきた思考がやんで、ただ動作そのものになっているから。
箸を動かすときは箸そのものになって。
口に入れた食べ物を味わうときは舌になる。
別に何をやっている時でもいいから、その時の動きそのものになるんだ。
その感覚がわかってきたら坐禅や瞑想の時に思考をうっちゃっておく感覚もわかると思う。
この動禅が難しかったらヴィパッサナー瞑想でもいい。これも座ってやるんではなくて、動きの中でやる瞑想だ。
これはもっと簡単で動作になりきるんじゃなくて、動作にラベルを付ける。
食事の例で言えば、お箸ではさむ時、「はさむ」とだけ考える。ただラベルを付けるように考える。あとは「つまむ」「口に運ぶ」「口に入れる」のような感じだ。
歩くときなら、右足を前に出す時に「右足」、次に左足を前に出したら「左足」てな具合だ。
常に動作にラベリングすることで、湧き出る思考から意識の焦点を引き離す感じだな。
これもいつだってできるから。なかなか座る時間のとれない人はここから始めてみたら?
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