人はなぜ成功を求めるのか? 成功体験の弊害

シェアする

偉そうなことを書きますが、小さな成功体験しか知らないオヤジです(性交体験ならバンバンあるけどね…)

世間からすれば、真逆のことを書きますがあくまでも内面的な話なので、瞑想やスピリチュアルに興味のない方はお帰りください(笑)。お帰りはこちら→

現実的には明確な目標を立てて努力を積み重ねて成功を勝ち取る成功体験というのは、厳しい社会において勝ち抜いていくために必要なことなのでしょう。

特に、生きる意味とか自分の存在意義など内面のことに、まだまったく興味の無い子供のうちは成功体験をする必要はあるのかもしれません。

スポンサーリンク
スポンサー

苦労して努力して勝ち取った幸せ

成功者は語ります。
「目標を持って努力して夢を叶えろ」「諦めるな。頑張り続ければ必ず夢は叶う」

でも、それを語っているのは成功した人ですよね。例数一人。

「いや俺の回りはみんなそうやって成功してきている」と言うかもしれません。

でも、成功者は成功者同士で集まりますから、それはそうなるでしょ。世の中の大半は夢を叶えられなかった人でしょ。

そう言ったら、「そんな風に諦めていたら成功なんてできないし、幸せを掴むこともできないぞ。夢を叶えられなかったのは努力が足りなかったんだ」なんて言われるかも。

努力のキャパシティって人によってみんな違うし、その人なりの努力は精一杯やってるんだと思う。それに成功者以上に努力をしていた人が報われないなんてこともよくある話だ。その時の絶望はとても苦しいと思う。

逆に好きなことをやり続けて気がついたら成功していたという人もいる。そういう人は他人から見ればすごい努力をしているように見えても、本人は好きでやっているので努力しているなんて思っていないよ、たぶん。

では僕を含めた努力の足りない人たちは、成功者が勝ち取ったような幸せを得ることができないのだろうか? 

世間を見れば裕福でなくとも成功者以上に幸せそうな人いくらでもいるんだけどなぁ。

ここからスピリチュアル的にいくよ。

お釈迦様は言いました。

この世は苦である

お釈迦様の言う苦は四苦八苦に分けられ、その一番目に来るのが欲望からくる苦。

目標を持って成功したいという思いはまさに欲望そのものです。

この世は苦であると言っても、この世が勝手に苦で満ちているわけではなく、全て人が欲望や無知や人として避けられない生・老・病・苦など自ら創り出していることなんです。

だから夢を追って必死で頑張ることは、自分で自分の首を絞めているようなもの。(決して否定しているわけではありません。誰もが何もしてもいいからこの世は素晴らしいんだから……これも誤解生むなぁ)

じゃあなぜ人は成功して幸せを感じるのでしょう?そしてまた新たな目標を定めてまた苦労しようとするのでしょう?

幸せのからくり

身近にいる幸せそうな人の幸せと、成功者の言う幸せは同じものです。

このオヤジ何をおかしなこと言うとんねん、と思った人は多いかな?

もう亡くなってしまいましたが、インドの覚者パパジの話で印象に残っているしびれた言葉があります。

パパジは釈迦と同じことを言っています。欲望が幸福の妨げになっている、欲望をなくせば人は幸福で満たされていると。

ぶっちゃけ、人は欲望からできている。乱暴にまとめればそんな風に言っています。

「でも、たとえ夢が欲望だとしても、それを求めて成功して目標としたものを勝ち取った時、すごい幸せを感じるじゃないか。」と成功者は言うでしょう。

それに対してパパジはこう言っています。

欲望の対象物があなたを幸福にしたと考えるかもしれないが、真実は達成したあとの欲望の不在が、その無の瞬間があなたを幸福にするのだ。

分かりますか? 欲望は満たされた瞬間、消えて無欲になるんです。

人は本来満たされて幸福であって、欲望がない状態こそ幸せだとパパジは言っているんです。

だから、成功を勝ち得た時、今まで幸せを阻害していた欲望が無くなって、本来の幸せな状態に戻っただけなんです。

しかし、勝利の美酒はいつまでも続きません。それでまた目標を定めて自分を追い込むような努力をします。

だって、幸せの原因を取り違えていますから。

そうして人は同じことを繰り返していくのです。

これをお釈迦様は求不得苦と言いました。

これは文字通り求めるものを得ることができない欲求不満の苦しみを言うのですが、それだけではなく、求めて手に入れても喜べず、さらに別のものを求めてしまうことも含めて、自分で自分を苦しめていることを良います。参照サイト:仏陀の教え

身近にいる幸せそうな人はどうでしょう。

彼らはごく日常の中に幸せを感じているのです。ほとんど欲もなく、ただ生きていることに幸せを感じ、感謝できるのです。

まさに釈迦やパパジの言う苦や欲望のない境地に近い状態にあるんです。

夢を持ったらイケナイの?

イケなくはないよ。

偉そうに言っている僕は、決してそんな境地まで行ってるわけじゃないですよ。

ただ瞑想と探求によって、だんだん腑に落ちてきている。

瞑想は欲のない状態だからね。

生活していれば今でも欲は出る。でも執着しない。

ああなりたいな。こうなりたいな。って思うのは欲でそれはいいんだ。

(でも欲に執着するとそれは欲望になる。wishやhopeだったのがdesireになる。)

それでそれを叶えるならどういう方向に進めばいいか最良の道を探すんだ。

その道を進みだしたら、目標なんか忘れて今やるべきことをやる。

できればそのことを心から好きでできれば理想だ。好きこそものの上手なれが最強だから。

それが無理でもその中に楽しみを見つけることはできると思う。

そのまま続けてみよう。だって楽しいんだから。

そしたら知らないうちにそれが実を結び、なりたかったものになれているかもしれない。

もちろんなれないかもしれない。でも絶望することはもう無いはずだ。

そのまま続けるもよし、また何かを見つけるもよし。

風のように身軽に、雲のように気ままに生きていけるから。

スポンサーリンク
スポンサー

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサー