えーっと死んでいるというのは自分のことであって、他人が亡くなるということではないので誤解のないように。
世間の人達はたいがい死に対して恐怖を感じて生きていると思います。
中には歳をとって達観したかのように、もういつお迎えがきてもいいと言っているお年寄りもいますが少数派でしょう。
大半は高齢の人でも死にたくないという人がほとんどだと思います。
人は死のいったい何が怖いのでしょう?
多分、多くの人は自分という存在がいなくなるということが耐えられないのでしょう。
そんなことを考えることも恐ろしく、死から目を背けられるように、夢中になれる生きがいや、何か熱中できるような趣味を求めるのでしょう。
僕も以前は、自分というものが消失してしまうなんてとても恐ろしかったものです。
「死んだらこの意識はどうなってしまうのか、この自分がいなくなってしまうなんてあまりに悲しいし寂しいじゃないか。」
そんな風に考えていましたが、今はほとんどなんとも思いません。
まあ、いざとなったら未練たらしい思いが出てくるのかもしれませんが。
あの一休さんも今際の際に「死にとうない」といったそうですし。
(一休さんの言葉はこの世への未練ではなく、ただ死にたくないという思いで、それ以上でもそれ以下でもないとおもいますが)
でも、心配しなくてもいいんですよ。死んでも悲しくともなんともないですから。
だって、そう思っているのはエゴですから、死んだらそう感じるエゴがいないですから。
表題に戻りますが、人は毎日、死んでいますからね。寝ることで。
睡眠中はエゴはいなくなっています。それは死んでいるのと変わらない。
たとえ夢を観たとしても、今の自分と全く違うことのほうが多くないですか。
起きている時にエゴが体験している世界は、睡眠とともにいったん幕を閉じてどっかに行ってしまっています。
それは死んだのと何ら変わりませんよ。でしょ?
それでも人は寝ることが好きでしょ?
毎日毎日、布団で寝る瞬間を心待ちにしています。
寝ている間、苦しみを自ら生み出しているエゴから離れて、休めるから。
その時、魂の根源ともいうべき”存在”に戻っているからです。
寝ることが嫌いな人はいないと思います。
死も同じこと。怖がることはありません。
毎日新しい人生が始まっていると思ったら楽しくないですか?
なんでもできそうな気になってきます。
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