昨日たまたまTVを観ていたら、今どき珍しく超能力の特集をやっていました。
最近は抗議の電話がすぐ入るのと、BPOやらネットやらがうるさいので、この手の番組はめっきり少なくなっていたのですが、久しぶりに楽しませてもらいました。
この手の番組もネット同様にリテラシーが必要でしょう。何でも信じてしまう人は要注意ですが、逆に言うとこの程度で騙されているようでは情報弱者を抜け出すことはできません。
ウソをウソと見抜ければこの手の番組は楽しく見ることができます。中には本物も混じっていますからね。
目次
いまだにユリ・ゲラーを超能力者として扱っていることに驚き
昨日の番組のウソはリオー・スシャールですね。
まず、その出自が胡散臭い。
2008年の「世界超能力コンテスト」で優勝、あのユリ・ゲラーが自らの後継者として認めた
もうこの時点でダメダメ。
いまだにユリ・ゲラーを超能力者として扱う日本のテレビはどうなのでしょう?
ユリ・ゲラーってマジシャンなんですけど。
マジックをちょっとかじったことのなる人ならたいてい知っています。マジシャンの間ではユリ・ゲラーがマジシャンなのは周知の事実です。
そのユリ・ゲラーの後継者と言われるリオー・スシャールが実際にがやっていたことを見ても、すべてがマジック流にショーアップされていて一目瞭然なんです。
種のわからないものもありましたが、屋外でするマジックの場合はサクラや助手を使うのは当たり前にやりますので昨日していたことは不思議ではありません。
アリソン・デュボアはマジもんですね
ロシアの人は置いといて、昨日の中でアリソン・デュボアは抜きん出てすごいと思いました。
実際に、アメリカで警察の捜査に協力しているのは知っていましたし、この人をモデルにしたドラマ「ミディアム」も観ていました。
世界でも超有名な霊能力者が日本に、それも田舎の三重の津にやって来たのは驚きました。
そもそも幽霊は存在するのか?
これについてはいろいろ意見の分かれるところだと思いますが、あるないで言えばある一択でしょう。究極のところ全部幻なんですけどね。
それはさておき、あるとしても世間一般で考えられているような1個の人格を持った幽霊と呼ばれるものとしてあるのか?
僕の考えではないです。
では何があると考えているのか?
それは思考の残渣のようなものです。
思考エネルギーと呼ばれたりもしますが、僕は奥さんとマイナスさんと読んでいます。
よく思いを残して死んだから成仏できないと言うでしょう。それそのまま当たりだと思っています。
その思いが強ければ強いほど、エネルギーとしても強くなるからそれに感応する人も出てくるんです。
ぶっちゃけ生きている人間も悟っている人を除いて、過去の思いのエネルギーの塊みたいなものです。幽霊と生きてる人間の違いは肉体を持っているか持っていないか。
(話がずれますが、その思いのエネルギーの総体がエゴですからそれを手放すことができればめでたく悟りです。)
そんな考えですから、霊能者が霊と話をすると言っても過去の消えていない思考の残渣を読んでいるだけで、霊能者のフィルターを通してその人格と会話しているように再現されているだけだと思っています。
アリソン・デュボアでその考えが揺らぐ
まあ、的確に相手の情報を読みますね。
亡くなったお父さんの誕生日である27という数字をまず読みました。
これは自分の誕生日なので思考として強く残っていても不思議じゃないです。
次に、ベランダに風鈴をぶら下げていたというのを読んだまではいいんですが、驚いたのはその後。
今も風鈴をぶら下げているけど風が当たらずに鳴らないということを言い当てました。
さらに娘さんが学業を色々中途半端にしてしまったのを、やり直して頑張って欲しいというお父さんの思いを読みました。
実際に、娘さんは高校を中退してその後入った専門学校も途中でやめてしまったことが明らかになります。
”えーっ? 思考エネルギーに今を感じて将来を憂うことができるの?”
でもやっぱり過去の思考エネルギーを読んだだけだった
普通に今を考える幽霊という人格があるのかと、受け入れがたい思いだったんですが、その後の展開で謎が解けました。
学業に中途半端だった娘さんですが、実は結婚して去年初めての子どもができていたんです。
考えてみてください。結婚して子どもが生まれて幸せいっぱいの娘に、学生時代に中途半端に投げ出した勉強をやり直して欲しいって親が願いますか?
普通なら、生まれた孫を健康に立派に育ててしあわせな家庭を築くことを娘に望むのじゃないでしょうか?
なくなったお父さんの考えの中には、去年生まれた自分の初孫の情報が入っていないということです。
さっきの風鈴もひょっとしたらお父さんの生前から、同じ場所にあって鳴らなくなっていたのかもしれません。それが気になっていたから思考エネルギーとして残っただけなのかも。
やっぱり、僕としては幽霊と呼ばれるものは亡くなった人の生前の強い思いの残渣のようなものが漂っているものだと解釈します。
幽霊を見るのも幽霊の声を聞くのもその人だけの意識の中で起こっていることですから、何の矛盾もありません。会話をしているように情報を得てもそれを解釈しているのはその人のフィルターを通った後の解釈ですから。霊能者によって霊視の内容が違うのもそのことが原因でしょう。
まあ人によって解釈は自由ですから、いろいろ反論もあるかもしれませんが全く興味ありません。それぞれが好きに解釈すればいいんです。
死ねばわかりますから。(分かるエゴがいなくなってるか…)
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