ちょっとカテゴリーを変えて午後の修行というのを入れてみた。
正しくは悟後の修行と言って、禅において小悟(一瞥体験などとよく言われる)があってからが本当の修行で、そこから頑張らないと大悟(まあ解脱とかいうやつですかね)できないという教えなんです。
でもそんな大層なもの、僕はくそくらえって感じなんです。(口が悪い^^)
だって大層に修行しても、本当にそんなレベルに達している人ってわずかですから。
そんなもの市井の人だって、何にもしなくたって起こるときは起こるんですから。
悟る(この言い方好きじゃないんですが、世間一般に通用する言い方が他にない)ってのは勝手に起こりますから。
なんでもない街に、誰も知らない農村に、なんにもしなくともそういうレベルにいる人はいますよ。
庭に咲いた花に心から感動し、毎日食べてるご飯の美味しさに感動し、聞こえてくる鳥の声に耳を傾け、道行く子どもの元気を喜ぶような人が。
そんな人は心の中にいる本当の自分に帰って、赤ちゃんのように無垢な生き方をしている。
悟るなんて本当はなくて、ただの自然現象。
風が吹くように。
木の葉が舞うように。
雨がふるように。
宇宙の自然な成り行きです。^^
人の一生を一日に例えたら、子どもから青年までは元気に活発に動き回るそれは午前中。
真昼になってそこまでの人生を振り返って一服する。
本当に大事なものは何なのか、自分とは何者なのか、生きる意味は何なのか。
そして本当の自分に気づき始めて、人生の後半である午後を生きていく。
だから、僕はあえて午後の修行としました。
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