タイトルのような状態はそれらの感情で意識のスクリーンが一杯になって、本当の自分でいられない点で共通しています。
怒りに我を忘れるなんてよく言いますが、英語ではbe beside oneself with rage と表現します。
直訳すると”怒りで自分自身の側にいる”となります。oneselfはこの場合、本当の自分、今にある自分とすればしっくりきます。
本当の自分を脇に置いといて、怒りに占領されてしまっている感じがでてますね。英語圏の人もうまいことを言います。
でも僕の感覚で言うと、少し違います。
よく言われる意識のスクリーンは映せる範囲が限られています。一度にできることには限りがあるのです。
何かを考えていたら、周囲への注意が怠ります。
作業に集中していても、周囲の出来事に気がつかなくなります。
周囲の様子に気を配っていたら、考え事をすることはできなくなります。
意識はスクリーンであって、かつコップのように用量が決まっています。
物事に集中すること、感情に占領されること、ネガティブな考えに取り憑かれること、すべてコップがいっぱいになっている状態。
一度中身を捨てないと次のものは入りません。
覚者のように、今ここにいる状態、本当の自分である状態というのは、コップが空っぽです。
まさに空。
色んな感情、いろんな思考、いろんな感覚は同じように出てきても、コップに溜まりません。
コップの底に穴が開いているから、今の時点であった感情や思考は次の瞬間には過ぎ去っています。禅で言う底が抜けた状態。
だから常に生まれていて、常に死んでいる。そこにエゴは存在しようがないんです。
底が抜けてない人はそんな時どうすればいいでしょうか?
僕は以前は枕に顔を埋めて叫んでいました。しょっちゅうあったわけではないですが。
いわゆるガス抜きのようなことをすれば、満ち満ちになっていたコップも少しは空間ができます。
別に他の方法でもいいんです。今問題になっている怒りや悩みやイライラから、意識の焦点をずらせればいいんです。
コップが満杯なのに普通のことをしていたのでは、焼け石に水です。こんなことじゃダメだと自分に言い聞かせたところで収まらないでしょう。次から次へと負の感情は継ぎ足されますから。もっともそういう状態だと何とかしようという意欲も薄いですけどね。
でも、ほんの少しすき間があって、何とかしたいと思えるなら対処はできます。
同じ位にパワーのあるものを利用します。
意識のコップを一気にいっぱいにしてしまうような、他の強い感情を呼び覚ませばいいんです。
それは食欲、執着、恐怖、性欲。
やけ食いはまさにそれです。負の感情を食欲を満たすことで置き換えています。食べ終わる頃には心はだいぶ落ち着いているでしょう。
何か執着を持つほど好きなものがあればそっちに矛先を向けるのもありです。三度の飯より好きな何か趣味や芸能人なんかがあれば、置き換えることができるでしょう。
恐怖を感じるくらい誰か絶対に頭の上がらない人がいれば、その人に諭してもらうと急速に負の感情は勢いを失うでしょう。子どもなら厳しい親の存在がそうです。
意外なところでは性欲です。仲悪いカップルがその後にエッチして仲直りするのは、負の感情を性的な快楽で駆逐しているといえるでしょう。
これらは効き目はあってもそれ自体がコップをいっぱいにしてしまいます。あくまでも緊急避難的な方法です。
僕のように叫ぶのもいいですが、怒りの対象となる人がいるのなら、その人のいないところで怒りをぶつけるというのもありです。すっきりして意識にかなりすき間が空くでしょう。
でも必ずその人のいないところでしてください。面と向かって言えば後に遺恨を残すのはもちろん、その時はすっきりしても、相手を罵倒したという負い目はまた負の感情の芽になるでしょう。いずれあなたを苦しめます。
ここまで書いてきていうのも何ですが、これは一般の人向けの対処法です。
曲がりなりにもスピリチュアルの道を歩いてきているのなら、瞑想をしましょう。
出てくる負の感情をただ見つめていれば、やがて力を失い消えていきます。
本当の自分と感情とは何の関係もないことに気づけるチャンスです。
真剣に、かつ頑張らない。融通無碍に行きましょう。
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